Copresence

copresenceという言葉を鷲田先生という人の言葉を読んで知った[1]。ある場所において、ある人が<誰か>の為にそこにいること。ある人は具体的行為によって献身すべき<誰か>を助けるだけではない。ある人が<誰か>とともにそこにいるということ、そのことが<誰か>を助けることに既に役立っている。<誰か>を助ける為の場所として、場所を機能させていること。copresence、ともに存在すること。

先々月哲学カフェに参加した際、そもそもどうして主催者さんは哲学カフェをやっているのかと興味を持った。そのとき、鷲田先生という先生が臨床哲学をやっていることを知った。臨床哲学はある学説をああだこうだと使うよりは、人がいる場所で哲学をやりたいという思いから始まったそうだ[2]。その思いから生まれた哲学カフェ。哲学カフェに参加して得たことはいくつかある。その中の一つとして、参加している人達が問題解決を志向していないように感じたこと。カフェでの対話で、テーマとなった問いに対する答えを導こうとはしていないように思えたことだった。議論の筋が交錯した末に、「この問題は難しいということが改めて分かりましたね」とある参加者が言っていたのが印象的だった。人が集まって何らかの情報としての解を、対話の還元からつくるというよりは、copresenceを通してその場所に、人が丸ごと入れる場所としての機能をもたせるということ。その場所に入る人のなかには、矛盾を抱えている人もいるかも知れない、他の場所で指向された目的に耐えられなかった人もいるかも知れない。

そういうことを問わずに、まずは人をみるということ。人の存在を知るということ。copresence。言葉にすることは簡単でも実践することは難しく思う。特に自分のように人の好き嫌いがはっきりしている場合には。

なんとなく、copresence、場所、矛盾と目的指向性あたりの言葉は、自分にとってまだまだ違うクオリアのありそうな言葉で、もう少しこれらの言葉を胸にぶら下げて日々の生活を過ごすと、面白いことが分かるかなという予感がある。

引用URL
[1]http://matome.naver.jp/odai/2131252441740767301
[2]http://www.natureinterface.com/j/ni03/P16-23/


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